教育方針・沿革
初代理事長 田中孝一郎、田中雅子の「堅実な学風、先進の技術」を建学の精神として掲げました。
この精神は現在も受け継がれています。現理事長 田中みさ子、校長 中尾実は、「美しさとは何だろう」「美容師にとって大事なことは何だろう」についてを常に考え、時代とともに歩み、未来を築くことを目標に据え、積極的にインターナショナルなノウハウを導入、より実践的で心ある教育の実現に力を尽くしています。
そのために、学科と実習をバランスよく組み込んだカリキュラムを構築。無理なくステップアップできる教育システムで、コームの持ち方から、サロンワークシュミレーションまで行ない、トータルコーディネーターとしての力を養います。
ニューヨーク研修旅行ではアートやファッションの本場で刺激を受けることで、成長することはもちろん、知識や感性を豊かにし、ファッション誌の撮影現場でヘアメイクを経験し、自らの手でヘアのセットやメイクアップをすることにより技術を向上させ国際感覚を身に付けることが出来ます。
変化の激しい美容技術や最新情報をいち早くとらえ、授業に生かし、これからも「ひとつ上の教育」を目指し、ハートフルな美容師の育成に努めていきます。
沿革
- 1925(大正14年)
- 女流フォトグラファーであった田中雅子は、田中孝一郎の勧めにより、広く社会における女性の自立を求め、美容師に転身。東京・代々木駅前に「代々木美粧園」を開業。
その後、プロとしての花嫁着付け「雅流着付」を確立。以来、婚礼お支度のエキスパートとして認められ、現在のブライダルチェーンの基礎を作る。
- 1945 (昭和20年)
- 田中孝一郎・雅子が「東京パーマ講習所」を設立。
- 1947 (昭和22年)
- 東京パーマ講習所をさらに発展させ「東京美容専門学院」(東京都知事認可)として代々木に設立。
初代院長に田中孝一郎就任。美容師教育に本格的に邁進。田中雅子は美容室経営と業界活動に専心。
その後、アメリカよりアール・テーツ氏を招き、ピンカーリングとヘアセッティングの本格的講習を行い、田中八起(後の第3代理事長)が、全国に随伴。基礎技術の普及に努める。
- 1949 (昭和24年)
- 厚生大臣(現厚生労働大臣)指定の美容師養成施設となる。
- 1958 (昭和33年)
- 代々木駅前より現在の高田馬場に移転。
- 1967(昭和42年)
- プロフェッショナル対象のコースとして、研究科設置。この頃、シザーズカットの隆盛を見越して、教員数名をアメリカ・サスーンスクールに派遣。いち早く授業にシザーズカットを取り入れる。同時に美容師養成施設の上級コースとして、専科(6ヶ月コース)を置く。
田中八起はICD(世界著名美容家協会)の日本初の世界大会実現に尽力。国内外の活動を通じて美容業界の国際化に寄与。
第2代理事長に田中雅子(初代)就任。
- 1971(昭和46年)
- 第3代理事長に田中八起就任。
- 1980(昭和55年)
- 第4代理事長に田中みさ子(二代目田中雅子)就任。
- 1984(昭和59年)
- 東京美容専門学院を「学校法人田中芸術学園東京美容専門学校」と改称。
美容師養成施設昼間部第1本科を美容専門課程に、夜間部第2本科を美容高等課程とする。
専科を一般課程専科ヘアスタイル科と改称。同時に研究科にメイク・フェイシャル・ネイル科を設置。その後6ヶ月コースに発展させる。
- 1987(昭和62年)
- 日本エステティシャン協会(現一般社団法人 日本エステティック協会)法人会員、認定校となる。
- 1989(平成元年)
- 研究科メイク・フェイシャル・ネイル科(6ヶ月コース)から、一般課程専科メイクアップコース(1年制)に。
- 1990(平成2年)
- 一般課程専科メイクアップコースを専科エステティックコースと改称。
1年制のエステティック専門学科を置く。
- 1998(平成10年)
- 美容師法改正、新制度に変更。昼間課程2年制、通信課程3年制となる。
- 2008(平成20年)
- 日本エステティック協会創立35周年記念大会において20年以上永年登録法人会員(認定校)表彰を受ける。
- 2015(平成27年)
- トータルビューティー科を2年制とし、美容総合科トータルビューティーコースに変更。
- 2017(平成29年)
- 創立70周年を迎える。
- 2023(令和5年)
- 美容総合科に2023年4月から新たにヘアメイクコースを設置。
- 2024(令和6年)
- 今日に至る。